「教師の成果」と「子どもの楽しさ」

運動会で取り組んでいる「南中ソーラン」。
衣装のハッピは子どもたちが、
色マジックで自由にデザインしています。

子どもたちは、珍しいハッピづくりに興奮!
本当に楽しそう!

この色どんなの? 
この線、このまま続けたらそうなる?
この形、おもしろい!
子どもたちは、楽しさ優先!
「いま、このとき」の喜びを味わっています。

イキイキと描いている子どもたちの間を歩きながら、
「おっ、いいね!」など、
少しずつ言葉をかけていきます。

しかし・・・

始めは、肯定的なんですが、
だんだん、「もっと、こうしたら?」
「こっちの色の方がいいんじゃない?」
どんどんアドバイスが増えていきます。

待てないんですよね。

特に、このハッピは、
運動会でたくさんの人に見られるので、
いい作品に仕上げてほしいと思ってしまう。

で、つい、アドバイスが過剰になってしまいます。

そこには、自分のクラスだけレベルが低かったら恥ずかしい・・・。
自分の指導力が見られる・・・。
そんな気持ちも影響しています。

ひどいときには、
イライラしながら、「これは、ダメ!」
そんな言葉をかけてしまっています。

そうすると、
あれだけ楽しそうだった顔が一気に沈んでいく・・・。
気づくのは、後になってから。

ああ、またやってしまった!


以前、「漁船の水彩画」や「版画(〜している自分)」などの図工教材に
かなり教材研究をしてから挑んだ時期がありました。
1 どんな活動をするのか、モデルを示して見通しを持たせる。
2 実際に使うテクニックを、分かりやすく伝える。
3 小さなステップに分けて、少しずつ完成させながら進む。
など、いくつかのポイントを押さえ、
入念な準備をして指導するするのです。

すると、どうでしょう!
子どもたちはビックリするような、
すばらしい作品を次々と生み出しました。

ああ、こう指導すればいいのか!

その時は、図工の指導の方向性が見えた気がして、
うれしく思っていました。

しかし、そのときの子どもたちを、
次の年、もち上がりで担任したとき。
子どもたちの中に自分の指導がほとんど残っていない事実に直面しました。

あんなにすばらしい作品を描いていた子どもたちが、
今年の課題では、まったく描けない。
すばらしい作品を生み出したのは、
そうなるように指導をしたときだけ・・・。

つまり、あのときの子どもたちのすばらしい絵は、
教師である「自分の成果」であって、
「子どもたちの成果」ではなかったのではないか。

そう考えると、
図工で絵を描くときの目的はなんだろう?
迷ってしまいます。

入念な指導のもとで、すばらしい絵を生み出していたとき、
子どもたちは、絵を描くことを楽しんでいたのだろうか?

いい作品を残すよりも、楽しく絵を描く時間を過ごし、
子どもたちに絵が好きになってもらうことの方が大切ではないのか?

いや、しっかり指導を受けて、いい作品を残し、自信をつけ、
いろんな技術を身につけるべきなのか?

悩むところです。

運動会、当日、自分のデザインしたハッピを身につけ、
子どもたちはどんな想いでソーラン節をおどるのだろう・・・。