ゴミを○○つ拾いましょう!

いろんな作業をした後に、
「じゃあ、机のまわりのゴミを拾おうか!」
と呼びかけることがあります。

その時に、
「先生! ゴミなんこ拾うの?」
と聞いてくる子が何人もいます。

「なくなったら終わりだよ」

って答えるんですが、
よく考えてみると、子どもたちは、
「ゴミを5つ拾いましょう!」
「ゴミを10こ拾いましょう!」
という指示になれているんですね。

「子どもへの指示は、一度にひとつ、具体的な数字で!」
というのは、低学年の言葉がけのコツのひとつ。

「ゴミひろって!」
というあいまいな指示では、
子どもがどう行動していいのか迷ってしまう。
子どもたちが迷わずに、てきぱきと動くための指示として、
「ゴミを○○つ拾いましょう!」というのがあるのです。

子どもたちを「迷わせない」というのは、
大勢の子どもたちが一緒に学んでいる学校で、
子どもたちを集団で動かすために、
必要なテクニックになっています。

例えば一年生。
6才の大勢の子どもたちを、同時に動かすのって、
本当に大変なことなんですよね。
だから、「子どもたちが迷わないように」指示するのは、
有効な手だてです。

でも、「迷わない」って、「考えない」に近いんですね。
迷わない指示を多く続けていくと、考えない子どもにしてしまう気がします。
だから、1年生と6年生の指示は、当然違わないといけません。
(もちろん、「指示すること」についても色々考えるべきことがあります。
 例えば、学校生活の中での集団で行動の多さなど・・・)

学校の中には、学校の中にしかないルールがたくさんあります。

家でOKなことが、学校ではNO。
家と学校でやり方がちがう。

その一つひとつに、「なぜ?」って考えていくことは、
子どもたち一人ひとりの自己判断、自己責任、主体性、自己肯定感などを高めていく上で、
大切なことのように思います。

しかし、学校の中では、その一つひとつについて、
子どもたち一人ひとりと、ゆっくり話す機会はありません。

で、どうなっているかというと、
子どもたちが迷わなくてすむ指示
子どもたちが考えなくていいルールが、
当たり前のように存在してしまいます。

子どもたちは、教室の中で、
自己判断できないルールに囲まれて生活している。
と言えるかもしれません。

その結果、
「先生、これ持ってきていい?」
「先生、いま、これしていい?
「先生、トイレ行っていい?」
「先生、これしていい?」
「先生!」
「先生!」

子どもたちは、
毎日、たくさんのことを
教師の判断にゆだね、
尋ねてくることになります。

そう考えると、
ボクたち教師は、
毎日の生活の中で、
子どもたちの自己判断、自己責任、主体性、自己肯定感を
高めるどころか、低めているのかもしれません。

これは、自我が発達し、社会的なルールへの関心が高まってくる
高学年の子どもたちにとっては切実な問題かも知れません。

教室の中のルールを、
「自己判断できるルールに変えていく」
そうして、
「子どもたちが、自分で考え、判断することにチャレンジしていく」
「それを見守り、応援していく」
というのは、
早急に取り組みたいことの一つです。